実は“単純”ではない『Simple』をめぐる話 〜9/18レポート Simple×Design 原研哉×林信行

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27.Sep.2012

去る2012年9月18日に日本デザインセンター「POLYLOGUE」で開催されたOpenCU主催のトークセッションイベント「Simple×Design~原研哉×林信行~」。日本を代表するグラフィックデザイナーで無印良品のアートディレクションなどを手がける原研哉氏と、アップルの哲学を熟知し『Think Simple』(NHK出版)の監修・解説を手がけたITジャーナリスト/コンサルタントの林信行によるトークセッションが実現。深くて、面白くて、実は“単純”ではない『Simple』をめぐるお話しの行方とは。
Text:吉原徹

Presentation01:林信行氏

シンプルであることは、複雑であることよりも難しい。
たが、それだけの価値はある。

 

林信行

「Simple」をめぐるトークセッションの第一部は、『Think Simple~アップルを生み出す熱狂的哲学』(NHK出版)の監修・解説を手がけた林信行さんのプレゼンテーションからスタートしました。林さんまず、スティーブ・ジョブズの遺したひとつの言葉を引用します。

Simpleであることは、
複雑であることよりもむずかしい。
物事をSimpleにするためには
懸命に努力して志向を明瞭にしなければならないからだ。
だが、それだけの価値はある。
なぜなら、ひとたびそこに到達できれば
山をも動かせるからだ。
――――Steve Jobs

「英語でシンプルというと、実は単純でバカだという意味もあります。ただ、複雑さを続けていった先に、たどり着けるシンプルというものもある。アップルは、文字通りこのシンプルを体現する企業なのです」と林さんは言います。

アップルのシンプルさを物語るもの。そのたとえとして、林さんはまずシンプルに絞り込まれた製品ラインナップを挙げました。

「アップルの時価総額は、かつてのマイクロソフトの記録を超え、今や史上最高額となる6000億ドル以上。しかし、その価値を生み出しているのは、机の上にさえ収まるほどのわずかな製品ラインナップなのです」

林さんは、年間何100種類もの新製品が出回る携帯電話市場を、たった1機種で席巻するiPhoneの戦略や「音楽を聴く」という機能に特化することで成功を勝ち得たiPodの例、そしてアップルのプロダクトやパッケージをとりまくシンプルな美しさなどについても触れていきます。

また、プレゼンテーションの中盤に、2005年に制作された『もしもマイクロソフトがiPodのパッケージを担当したら(Microsoft Designs the IPOD package)』という動画を紹介する林さん。動画には、親切で便利な情報を次々と付け加えた結果、Simpleとは言い難いゴテゴテとしたパッケージになってしまう…という残念な(だけどありがちな!)作品例が紹介されていました。

「これは2005年のもパロディ的作品なので、現在のマイクロソフトとは別物です」と林さん。しかし、そこにはデフォルメされた分だけくっきりと“シンプルであること”をめぐる課題が浮かび上がっていました。

「必要と思える要素をどんどん追加した方が、一見より簡単に思えるかもしれません。その方がユーザーにとって親切に見えるし、自分自身も仕事をした気分になれるでしょう。ただ、果たしてそれでユーザーにアピールできるのかというと、そうではない。むしろ、不要な部分を削って本当に美しいものを作り上げる方が、よほど大事ではないか。それが『Think Simple』という本のテーマなのです

最後に林さんは、再びスティーブ・ジョブズの言葉を引用してプレゼンテーションを締めくくりました。

何かの問題を解決しようとしたとき、
真っ先に浮かぶ解決策はまだまだ複雑だ。
だが、多く人はそこで止まってしまう。
その後も取り組み続け、タマネギの皮を剥がしていくと、
しばしば非常にエレガントで、Simpleな解決方法にたどりつくことがある。
多くの人々は、そこにたどり着くまでの時間やエネルギーを費やしていない。
――――Steve Jobs

 

Presentation02:原研哉氏

西洋のシンプルと日本のシンプルは違う!?
空っぽ=エンプティネスという発想。

 

原研哉

第二部は、グラフィックデザイナーの原研哉さんによるプレゼンテーションでした。無印良品のアートディレクションを通じて日本の「シンプル」を考え抜いてきた原さんは、「日本のシンプルは西洋のシンプルとは、少し違うのかもしれません。だから、あえてカウンターとして、いわゆるシンプルとは違うシンプルの話をしたい」と話を始めました。

日本的シンプルの原像とは「エンプティネス=空っぽ」にあると原さんは言います。自然界の至るところに神々が宿ると考えられてきた日本では、そこここに偏在する力=フォースを呼び込む「可能性」のある場所として、何もない場所に空っぽな社を造り、拝んだと言います。もちろん、神社などはその最たる例のひとつだと言います。

「古来より日本では、自然界の大きな力とのコミュニケーションや美について、『空っぽ』というものを運用してきました。空っぽというのは、つまりは、満たされる可能性そのものです。『もしかしたら神様がここに来るかもしれない』。そんな可能性に対して、人々は拝んできたわけです」

たとえば、白地に赤い丸を置いただけで、さまざまな象徴的な意味を持つ「日本国旗」。最小限の設えで、あらゆるメタフォリカルな世界を作り出す「茶の湯」。「空っぽ」の運用は、古くから、そして現在でも私たちの身の回りで運用されています。それはデザインや設計だけでなく、コミュニケーションの手法にも活かされているそう。

「たとえば会議でも、『あの件に関しましては、そういう事でよろしいでしょうか? では、御異議がないようですので、そういうことで……』というやり方がありますよね。切実な主題を一切言わず、カギ括弧にくるんだまま合意を形成してしまう。あれば、あえて場に意味の交差点を作らず、議論の真ん中を空洞にしておくことで、誰も傷つけずに責任を等分していく方法なんです。海外からは『わかりにくい』と言われることもありますが、誤解すらも良しとする高度で迅速なコミュニケーションのひとつですね」

一方で西洋的なシンプルの成り立ちは、日本とはまったく異なった文脈から生まれていると、原さんは続けます。

「かつての世界は、複雑性で構成されていました。たとえばイスラムの幾何学模様や中国の龍のモチーフ、絶対王朝時代のバロックやロココなどが代表的ですね。これは、『こんなすごいものを作れるなんて』という圧倒的な複雑性が、共同体を治めるための力の象徴として必要だったということです」

かつて複雑性に燃えたぎっていた世界。シンプルという概念が生まれたのは、およそ150年前のことだと原さん。

「150年ほど前に、社会の体制が大きく変わっていきます。この頃、絶対的な王様が君臨する時代から、ひとりひとりの人間が自由に生きていけることが、社会の基盤になりました。結果、力の象徴としての複雑性は必要ではなくなり、替わって『個と素材とモノ』は最短距離で結ばれているのが一番合理的だ、というモダニズムが広がります。複雑性に滾っていた世界が、ほんのわずかの間に、Simpleな合理性の世界になったというわけです」

合理性のシンプリシティではなく
自在性のエンプティネスを。

西洋のシンプリシティと、日本のエンプティネス。似て非なるふたつの概念があるならば、無印良品はもちろん後者だと原さんは言います。

「たとえば60代の熟年夫婦のために、60代用のシンプルな机を作り、青年のためにはまた別の青年用のシンプルな机を作る。それが合理的なシンプリシティです。ただ、無印良品ではそれはやりません。どんな人が、どんな文脈で使っても受け入れられるようなモノを作るんですね。それはいわゆるシンプリシティとは少し違います。たとえば、無印良品に脚付きマットという製品がありますが、これはヘッドボードのないベッドとしても、ソファとしても、畳としても使えるようなモノで、あらゆる文脈に対して『これでいい』と思わせる究極の自在性を意識しています。どんなイマジネーションでも受け入れられる『空っぽ』の感じ。つまりシンプリシティの合理性とは異なる『エンプティネス』という価値観を、いかに現在のグローバルな世界の文脈に通用するように磨いていけるのかが、この先には必要なのかもしれません」

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