ヤマハが教えてくれた、知的野蛮人としてのサラリーマンの道
では、須田氏のキャリアを追ってみよう。ヤマハに就職する以前は、大学在学中からミュージシャンとして活躍し、憧れの教師になるために教員免許をとりつつ、さらにベンチャー会社複数社を掛け持ちする非常に創造的で、活動的な学生生活を送っていた。その中で、敢えて就職活動をし、ヤマハへの就職を決めた。そこには、どんないきさつがあったのだろう?
「ミュージシャンになるか、教師になるか、ベンチャーを続けるか、就職か4つの選択肢の中でずいぶん迷いました。しかも就職は教育実習があったため、もう大手はヤマハしかなかったんです。試しに受けてみるかと思って挑んでみたら、不思議とトントン拍子で選考をパスできたんです。本採用の1つ前の面接で、”君はベンチャーをやってるけど、そこに戻る気はあるの?” と聞かれて“数年働かせていただいたら、辞めて自分のベンチャーを大きくしようと思います”と答えると、“君みたいな人がこの会社で大きいことができないようなら、この会社は変われない”と返事をいただいて、感動したんです。自分が採用する立場だったら、そんなこと言えるだろうか? と思い、その懐の広さに胸を打たれ、この出会いは自分にとって大切だと思いました」と須田氏。
当時はヤマハの変革期でもあったことから、”知的野蛮人”をテーマに採用を行ったという。野球で例えれば、当たらなくても思い切り三振できるバッターか、ホームランバッターを採用しようという方針だったのだ。
須田氏が大学時代の青春の大半を過ごし、「会社を ゼロから作るたのしさと辛さを学んだ」というベンチャー会社のV-cubeは、2000年当時ではまだ珍しい、Googleカレンダーのようなインターネットカレンダーシステム「icsy」や、ウェブ寄せ書きサービス「Cardy」など先進的なWebサービス提供していた。また、ホームページ制作の敷居が高かった時代に、安価で高クォリティの ウェブページを提供し、高い収益を上げていた。そのままキャリアを積めば、一介のサラリーマンには手にできない稼ぎと、先進的なビジネスが手に入るかもしれない。会社に入って仕事をするということへの違和感はなかったのだろうか?

V-cube 現在、テレビ・ウェブ会議のリーディングカンパニーであり、導入実績は2000社を数える。1万拠点に配信出来る セミナーシステムなどのビジュアルコミュニケーションサービス全般を手がけている。現在は社員130名超えている。
「確かに最初は会社に入るイメージは、大きなモノの1パーツを作るだけが仕事だと思っていました。つまり働き方としては自分が会社という大きな機械の部品になるということです。でも面接で、まさにヤマハが変わろうとしていて、それに僕が求められているということを告げられた時、強い使命感を感じざるを得ませんでした。そこまで言ってもらったわけだから、とにかくヤマハでやりたいこと全部やってみようと。そしてヤマハで出来ないことだったら、それは後に僕のライフスタイルになる“課外活動”でやればいい、と考えました。そう考えたら、ヤマハという大企業で働けることをポジティブに捉えられるようになりました。しかもベンチャーでは資本金が限られているけれど、ヤマハではベンチャーが持ち得ない資本力と全世界へのネットワークがある。もう堂々とヤマハで知的野蛮人になってやろうと思えたんです」と須田氏は振り返る。
かくして、教師の道は免許を取得して将来に繰越し、ベンチャーは一旦休業、音楽活動は課外活動で、という取捨選択を経て、須田氏はヤマハへの歩みを進めた。