インターネットに感動できた世代ならではの原初体験
“インターネット”という言葉自体が新しい概念であった1990年代。当時、大学生だった矢野さんは学園祭の情報サイトを制作していた。
「インターネットの面白さを知る原初体験は、学生の頃に作った学園祭サイトでした。Webデザインという観点より、テクノロジーも含めたメディアとして捉えていて、感動したのを覚えています。今では当たり前ですが、場所を選ばずコミュニケーションできることにワクワクできたんですよ」と、矢野さんはWebとの出会いを振り返る。
それは学園祭のレポートを軸に、美輪明宏氏や妹尾河童氏のインタビューコンテンツなども盛り込んだ情報サイトだった。作るやいなや、多くの人々からアクセスが集まり“斬新な試みだね””すごいね!“と絶賛するメールが届いたそうだ。
「そのとき、どうやったら訪問者がもっと増えるのかなと思って、試しにタイトルを書いているところに“エロエロ女子大生”って書いたら、次の日からすごいアクセスがあったんですよ(笑)。今で言うSEO対策ですよね。変なメールもいっぱい来て大変でしたが、知らない誰かが自分の作ったものを見て、通信してくるのが、飛び上がるほどの感動でしたね。とにかくインターネットが面白い、世界のすべてはこれで変わる!と、肌で感じました」
大学卒業後、矢野さんはプロバイダ会社に籍を置きWebデザインの仕事を始める。そして様々な企業のWebページなどを作りながら技術を学ぶうち、あることに気づいたという。
「私の好きな画家にパウル・クレーがいるんです。彼はもともと音楽一家に育ち、著書ではこんなことを言っているんです。
“音楽には理論があるから今の地位にある。一方で絵画には理論がないから、音楽よりもアカデミックな地位が下になってしまう”
彼からの言葉から、理論からノウハウが固まり、初めて“認知される”ことを学んだんです。当時のWebデザインは、まさに理論が無い状態でした。みんな“これでいいの?” “プロって呼んでいいの?”といった調子でデザインの良し悪しを語ろうにも、後ろ盾になる理論がない状態だったんです。そこで、じゃあ作っちゃえばいいじゃないか!と思ったんですね」
かくして、矢野さんはWebデザインの理論を作ることを自らの仕事に選んだのだった。