子供の頃に憧れたヒーローになるために、タナカ青年はFLASHを手にした
タナカさんは、30歳になってからWeb業界でのキャリアをスタートさせたという異例の経歴の持ち主でもある。いわゆる“遅咲き”を地で行った経歴を振り返ってみよう。
高校を卒業したタナカさんは、二浪した後、大学進学を断念し、父親の経営する会社で働き始めた。しかし、ほどなくして恋人を追って大阪に引越し、小さな町工場で働いていた。
「それで、なんだかんだで10年経って。29歳も半ばを過ぎたくらいで気づくわけですよ。子供の時に憧れていた自分じゃないことにすごく落ち込んだんです。“なりたい自分じゃない”って。誰だって子供の時にヒーローになりたかったわけで、それは自分も例外ではなかった。そんなことを考えて、まずは仕事を辞めたんです。やりたいことやろうと思ってわけです。それで子供の頃から憧れてたブラックジャックになろうと思ったんですけど、それはいくらなんでも無茶だなと思いまして、それで現実的に考えて、憧れてた映画監督になろうと思ったんです(笑)。これも冷静に考えれば無茶な話なんですけど、高校生の時に8ミリ映画を撮っていたから、映像制作からの流れでなれるかなと思ったんですね(笑)」
タナカさんは、早速、テレビ系の制作会社のADになるためにあちこち面接に回ったという。しかし、すでに30歳を超えていたタナカ青年がADの職に就くチャンスは訪れなかった。ヒマを持て余していたタナカさんは家でインターネットに夢中になり始める。時に1990年後半のインターネット黎明期を迎えていた。
「そんなときに、自分でホームページを作るためにFLASHのアプリケーションを使いはじめたんです。ちょっとしたテキストにアニメーション付けてみて遊んでいたんですね。そのとき、気付いたんです。“あ、これってモーショングラフィックで、映像っぽいな”って。それで、もともとアニメ好きだったこともあってFLASHアニメを覚えてWeb業界だったら何とか仕事ができるんじゃないかと考えはじめたんですよ」
この瞬間、“タナカ青年”が、現在の“タナカミノル”に近づいた瞬間であった。
「当時、ネットで動画というと、かなり小さいサイズで見れたものじゃ無かったんですけど、インターネット回線が速くなれば絶対にでかい映像になる、FLASHアニメやっていれば、FLASHアニメが映像に置き換わる際に、映像の仕事にシフトできるんじゃないかってぼんやり思ったんですね。それでWeb業界に行こうと思いました。そんなとき、友人に“情報が出てくるところは全て東京だから”って言われたのがきっかけで東京に戻ってきました。30歳の時ですね」