現場で学んだ地に足がついたIAを極めていきたい
海外から新しい概念が入ってきた時、まずはその概念を“学問”として論ずる傾向がある。Web情報アーキテクチャーという言葉も同様だった。しかし、実務に役立てようとしたとき、学問として知識だけでは頼りにならない場合もある。目の前の仕事の行き詰まりを打開するのに、どう活用すればいいのかよく分からなくなる。そのギャップに対して、坂本氏は実務の中でIAを自ら切り開いていくことにした。それには、環境の変化がきっかけとなった。
「一緒にネットイヤーに移籍した仲間(編注:第1回page3参照)はどんどん辞めてしまって、2年ほどたった時に一人取り残されてしまったんです。二人三脚でやってきた師匠も辞めてしまいました。もともとネットイヤーに在籍していたスタッフとは、あまり話をする機会がなかったこともあり、議論や相談する人がいなくなってしまったんですね。そこで、ブログを通じた社外との交流に情報を求めるようになってきました。
ブログロール(当時流行したブログ同士をリンクし合うツール)で、知り合ったブロガーに長谷川恭久さんや木達一仁さんがいて、考えていることに共通項が見い出せたんです。そういうつながりの人たちと人を紹介し合ったりする中で、IAについての情報もいろいろ入ってきました。
ちょうど、skype、mixi、GREEなどのコミュニケーションツールも充実してきてた時期で、情報のやりとりが簡単になってきました。さらにオフ会のようなもので実際に会うようになったり、勉強のために出席したセミナーではブログとかで知っている方々によく会うようになりました。その頃から業界の横つながりを意識しはじめたんです」
さまざまな交流の中で、坂本氏は独自のIA論を固めっていたのだという。
「その頃のIAというのは、今考えるとプロトタイピングに近いものですね。僕がこだわったのは制作から見て自然なIAでした。ツールがいろいろあるというのも分かってきて、制作ディレクターとして現場の叩き上げであっった自分の経験を形にできる領域でしたね。ネットイヤーの社内体制もプロジェクトマネージャー、IAの2つに絞られたこともあり、自分はIAの道を進むことにしたんです」
また、IAとして仕事をしている中で、新たな視点も生まれてきた。
「ガイドラインに注目することが多くなったんです。ある企業のサイトリニューアルのディレクターをしていた時、自分たちが作ったサイトを実際に運用することになる、クライアント企業側の担当者とも仲良くなったんです。そこで、よく聞かれる言葉に、“確かにかっこいいサイトができたけど、どうやって運用すればいいか分からないんです”いうものが多かったんです。確かにサイト制作を受注しているのだから、サイトを作って納品するまでが仕事ですが、出来上がったサイトを日々運用をするのは、企業のWeb担当者ですよね。彼らからすれば運用も同じく仕事であり、自分としても“納品して終わりでいいのか?”と考えるようになったんです。当然、運用マニュアルが必要になってきますし、どのような意図でその構造になっているかの考え方も含めて、設計のガイドラインがないとだめだと」
そして、坂本氏はガイドライン作りにはまったのだという。
「まず、AppleのヒューマンインターフェイスガイドラインやMicrosoftのWindows UXガイドラインなんかを読みまくってフォーマット作りを考えました。ガイドライン作りはIAの成果物を作る意味でも、よい訓練になったと思いますね」
その頃から、“ユーザーエクスペリエンス”という言葉をよく聞くようになりました。ビジネス戦略にしてもマーケティング戦略にしても、ユーザーの視点にしてあらゆる側面をデザインしなければならない。たとえば、商品の認知から購入に至るまでのプロセスを可視化し、そのプロセスにはどういう潜在意識がユーザーにあるのか、結果どういう利用のされ方をするのかといった消費者の行動プロセスをデザインする。そのためには企業のコーポレートサイトと商品やブランドのサイト、コミュニケーション用のページや購入のためのECサイトなど、すべてを戦略的な設計の元にデザインする必要がある。
「サイトのデザインとディレクションの切り分けについて、当時、混乱していた時期でもありましたね。自分は、デザイン、ディレクション、さらにIAなども領域としていたこともあり、知識の“のりしろ”が多い立場というか、任されることも多くなってきたんです。サイトリニューアルの大きなプロジェクトを行う上では、ガイドラインを作ってきたことでWebに関わる情報体系が頭に入っていたからこそ、うまく進行することができたと思いますね」