定職における”三種の神器”にあこがれて…
「東芝EMIは音楽ビジネスのイメージが強いですが、当時はゲームソフトも売っていました。そこで、会社の上司に“東芝EMIと取引があるなら紹介してくれ”って頼み込んだんです。その結果、アルバイトで働くことになったんです」
半ば強引に、東芝EMIマルチメディア制作室に入社した森田氏は、時給500円という境遇にも耐え、嬉々としてゲーム開発に携わる時を待っていた。しかし既存コンテンツの再販に忙しかった制作室では、オーサリング業務が仕事の大半。アシスタントディレクター、デザイナーなどの業務も経験したが、ゲーム開発ができる日は2年近く経っても訪れなかった。しかし、コツコツと仕事に励んで動画編集の技術などを身に付けた。結果として後のWeb制作の職にも役に立つこととなる。
時を同じくして、MORPGの先駆けである『ディアブロ』が北米でオープン。森田氏にとって、オンラインゲームの出現は画期的だった。さっそく買い込んでやりこむも当時は通信料が高い時代。給料がどんどん消えていくこととなる。氏はディアブロと生活の両立を考え、アルバイト生活に終止符を打ことにした。
退職後、NIFTY SERVEの猫好き会議室で知り合ったメンバーたちと会社を作ることになった。
「オフ会で意気投合した15人くらいで、ドメインも取って、会社を作りました。ただ、仕事は無いから自分で仕事を取るしかない。フリーランサーの経験はないものだから、それぞれ好き勝手にバイトしてました。そこで、警備士のバイトを選んだんです。昼も夜も、できるだけシフトに入れてもらったところ、皆勤賞に加えて精勤賞までもらえる。しかも週払いだからお金が定期的に手に入る。楽しくなっちゃって、作った会社そっちのけで一生懸命警備してましたね(笑)」
「社畜型人間」と自称する森田氏の無茶な努力はここでも発揮された。「いくらでも働いてしまう」ワーカホリック気質の森田氏は、楽しいから仕事が止まらなかった。昼夜問わず5ヶ月間に渡って大型商用ビルの工事警備を行い、そして、その警備会社を辞めた。
「社会保険完備・有給休暇・ボーナスがあるところで働くのがよいと、学生時代の友だちと話して分ったんですよ。それで既存の会社の正社員になろうって決意しました」