誰かを育てることが自分の成長が停滞する理由になるのを避けたかった
その後、PM(プロジェクトマネージメント)、IA、UIデザイン、テクニカルディレクター、ナレッジマネジメントといった業務を広く経験した森田氏は、2005年にbAの役員に就任し、ますます多忙を極めることとなる。
営業・人事・広報などの業務も増え、さらに制作領域での業務もこなす。「あらゆる仕事を行う役職という意味で、“プロジェクトリーダー”という肩書きにする」と森田氏自身が希望し、リーダー兼プロジェクトマネージャーとしていくつものプロジェクトをまとめる立場になった。にもかかわらず、氏は「できるだけ、昼間は暇そうに振舞っていた」という。
「偉くなるだけしんどさが増すというのでは出世に望みが持てなくなるし、会社そのものへの不信感にもつながる気がしていたんですね。だから、昼間はひとつの作業に集中するというより、あっちこっちにちょっかいを出すような、見方によっては遊んでいるような感じで過ごして、いやそれでもきちんと仕事しているんですけどね(笑)、そして夜中にみっちり作業をしてました。結局会社で24時間過ごすこともざらでしたね」
“自分の姿を見て社員がどう感じるか“まで配慮していたという氏は、できるだけ制作スタッフの育成にも心血を注いだ。例えば、このようなやり方だ。
「プロジェクトが始まると、メンバーに“プロジェクト全体やタスク単位でのゴールはこういうことだよ”と提示して、作り方や方向性を指導するんです。そうやって作業を進めておいてもらいながら、自分も指示したものと同じ提案書だとかをこっそり作り始めるんです。こうすることで、万一、担当者がうまく作れなくとも、作り直しで納期に遅れが出るのを避けられるんです。
もちろん、作り直す時間があれば担当者にやり直してもらいます。だから毎回、自分が作ったものを出すわけでなかったけれど、具体的に作って共有すると、メンバーも次からもっと勘所みたいなのが掴めるようになると思うんですよね」
社員を育てるだけでいっぱいになって、自分の成長が停滞するのは避けたかったという森田氏。ディレクターやデザイナーにコツを指導しながら、自身も案件に直接関わることでさらに腕を上げていった。
創業メンバーで、役員の一人。業務の品質管理、プロジェクトリーダーという立場にあった森田氏には、多大な時間を費やしてでも会社が請け負うすべての案件に関わる理由があった。「例えば全部で50本のプロジェクトを回しているとしたら、社員全員がその50本にまんべんなく関われるということはありえません。そのため各自が担当する案件に偏りが出て、キャンペーンサイトやコーポレイトサイトなどの専門化が進み、経験に差が出てしまうものです。そんな中で僕は、非常に多くの案件に関わっていたために、うまい具合に制作ナレッジを吸収していけたと思うんです」
「自分くらいの立場の人間が、制作に関わった時に“できない、わからない”とは言ってはいけないと思うんです。かと言って “できる、わかる”と言っても実際にできなかったら意味がない。“できる、わかる”と断言できるよう、常に挑戦と模索をしていく必要があったんです。そのためにも、案件の数と多様性を求めていました」
制作過程で、どのデザインがベストな選択か迷うこともある。そんな時には「自分もユーザー」という視点で、制作中のデザインが理想のIAに基づいたものか、何度も見直したという。サイトに課せられたミッションを意識することで、自ずと答えは明らかになる。立ち位置と目的の確認・擦り合わせ。その繰り返しが、現在の森田氏を構築していると言えよう。