「ユーザビリティーを創る」という体験をする
スキルは専門学校で身に付けたC、C++、アセンブラ。あとは短期バイトの経験を引き下げて、就職情報誌の冒頭から順番に応募した。「“ア”から始めて、“シ”になって、システムセンターっていう会社のエンジニア職の面接まで行きました」
無事、システム開発会社にエンジニアとして採用された氏は、案件をいくつかこなし、1998年12月、新規事業の担当エンジニアとして、マイクロソフト社に常駐することになる。配属されたのは、ワイヤレスチーム。当時、サービスインを控えていたiモードで使えるWebアプリの開発が行われており、森田氏はここで頭角を現したのだ。
業務はiモード用のExchangeクライアントの開発。Outlook同等の機能実装を目標にサーバサイドのプログラム開発、そして小さな画面でも快適に使えるようにするためのUIデザインとユーザビリティ改善。現在も森田氏の仕事となる業務の貴重な経験を積むこととなる。iモード端末が発売された以降もExchange接続のASPサービスとしてリリースできるまで開発とデザインに従事した。
新しいインターネット環境のためのアプリケーション開発におけるサーバサイドからフロントエンドまで、ゼロからイチを作り、使いやすさを生み出す業務体験は、氏のクリエイティビティに大いに刺激を与えた。
やがて、その働きぶりを見ていた各事業部から、次々と誘いの声がかかることになる。折しも、マイクロソフトとNTTドコモの合弁会社であるモビマジックが設立され本格的にASPサービスの販売が始まったり、入社した頃からの上司が独立したりと、周辺が慌しくなり、森田氏も身の振り方を考える状況に置かれていた。
「社畜な性格もあって、誰よりもこだわって仕事をしていたからでしょう、マネージャー職を用意してくれた部署もありました。マイクロソフトの正社員となれば、社保完・有給・ボーナスの三種の神器も手に入るなとは思ったんですが、それでも、もっと直接的にウェブに関わる分野で仕事がしたいという気持ちが強くて、結局、退職を決意しましたね」
そして、次に選んだのはWeb業界。「ソフトウェア・アプリケーションからウェブサイトデザイン」へと転換点であった。
また、退職を決意した背景には、数々のサイトデザインで注目を浴びていたアートディレクター、福井信蔵氏との出会いがあった。
福井氏はアパレル業界でファッションブランディングの第一人者として知られ、独学で手がけたWebデザインが各国から高い評価を受けるなど、1990年代後半のコーポレートサイト・キャンペーンサイトで、次々と国際的なデザイン賞を受賞していた。そんな福井氏からラブコールが届いたのだ。
「当時、WDMLっていう、その頃のWebデザイン関係者は全員見ていたんじゃないかという、伝説のメーリングリストがあったんです。そこで夜な夜な活発に発言してちょっと目立ってたんですね(笑)。そこで知り合って飲み仲間みたくなってた信蔵さんが、“会社を作るから来ないか”と誘ってくれたんです」
中村勇吾氏などを輩出し、後に日本のWeb業界に多大な功績を残すWeb制作会社、ビジネス・アーキテクツのはじまりである。第一線で活躍する個性あふれるスタッフに交じり、異色の経歴をもつ森田氏のWebディレクターとしてのキャリアが本格的に幕を開けるのだった。